日本における環境的な要因・年功序列の給与体系
日本の社会形成に大きな影響を与えた儒教の教えは、年功序列という考え方を反映した給与システムにも色濃く影響したと考えられます。
つまり、その人の「実力」や生み出す「成果」よりも経験や年齢を重んじて給与が支払われるという事ですが、言い方を変えると「やっても、やらなくても給料はあまり変わらない」 という事です。
何か余計な事をして、失敗するリスクを冒すより、過去の正解に従って忠実に行動していれば良い。
そんな思考慣習が、主体性の欠如に大きく影響を与えたと考えられます。
以下の表をご覧いただきたいのですが、アメリカのギャラップ社という調査会社が発表した「国別の熱意にあふれた社員の比率」を比べたグラフです。
経団連がこの結果を踏まえて、大きな危機感を持ったというニュースが、新聞に取り上げられていましたのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、「熱意にあふれた社員」の比率がアメリカの31%に対し、日本は6%と大きな開きが出ています。
これが、今日における日米企業における「生産性」の差になっていると考えられます。
ご存じの通り、アメリカは貧困の格差が大きく、稼げる人と稼げない人のギャップが大きくなっていますが、これもキャリアや年齢ではなく、能力で人が評価されるという事によって生まれていると言って良いと思います。
したがって、自分の給料を上げたければ、自ら自分に投資をしたり、勉強をし続けていき、自分の価値を上げ続けてゆく必要があるわけです。
これは、「日本と欧米の教育の違い」という問題も大きく影響しています。
最近は日本も少し変わってきているようですが、従来、日本における学びの目的は、偏差値の高い学校に入り、大きな企業に入る事でした。
しかし、欧米における教育は、将来を見据え、自分の個性を探し、自分がしたいことを見つけ、自分が進むべき道を見つけるためのプロセスになっています。
なので、大学に入る事で、多くの日本の学生のように燃え尽きることなく、目的をもって学び続けるわけです。
さらに、その姿勢は、社会人になってからも継続します。
これに対して日本は、「何のために?何をする?」ではなく「どこへ入る?」というところに価値を置いたブランド主義の弊害が色濃く残っている上に、評価制度に年功序列が色濃く残っているので、主体性はなかなか身につかないのです。
これが今日「答えのない」時代において、アメリカと日本の大きな差になっていると考えられます。
私は、カンパニーコーチとして「企業のビジネスマン育成」に関わる言う仕事をしていますが、コーチングが日本に入ってから、20年以上経っているにもかかわらず、日本でなかなか市民権を得られていない理由もここにあると思っています。
コーチングは、「コーチを活用して」視点、視野、視座を変える事で、気づきを得て、自身の新たな推進力にしてゆくものですが、「答えはその人の中にある」という事が前提であり、自ら考え、決断し、行動して行く「主体性」がないと効力を発揮しません。
つまり、様々な制約があっても「すべての答えを自分の中に見出せる」人でないと機能しないという事です。
能力給でない日本のビジネスマンは主体性が持てないのか?
頑張ったご褒美がお金と言うのはわかりやすいのですが、逆に頑張っても、頑張らなくてもお金が増えないとしたら、本当に主体性は育たないのでしょうか?
私はそうは思いません。
なぜなら、働く事によって得られる報酬は「お金」だけではないし、「現在」だけでなく、「自分の未来に向けた投資」という「視点」を持つと「今」、主体性を持って生きる「価値」が見えてくるからです。
特に、日本では平均寿命がいまだに伸び続けており、「定年後の人生」が長くなっています。
つまり、多くの方が会社を「卒業した」後も働く事になると思います。
働いてお金を稼ぐ方法は大きく2つあります。
一つは「時間を売る」という考え方でもう一つは「価値や貢献を売る」と言う考え方です。
しかし、今後「時間を売る」ような作業的な仕事は人工知能やロボットの発達により、少なくなってゆく事が予想されます。
したがって「価値や貢献を売る」方を選択した方が「賢明」ではないでしょうか。
とは言っても、簡単に実現できる事ではないと思いますが、今から自分の価値を増やしてゆく事を意識し、人に、組織に、会社に、社会に貢献してゆく事を見つけ、取り組んで行けば、必ず自分なりの付加価値の増やし方が分かって行くはずです。
これについては、また別の機会に詳しくお話したいと思います。