プレイングマネージャーに期待される役割の一つに、部下の主体性育成があります。
仕事柄企業の研修担当の方とお話をする機会が多いのですが、その時に人材育成における問題について話をお聞きすると、お決まりのように「うちの社員はまじめで、言われたことは一生懸命にやるんだけど、自分で考えて何か行動を起こせる人が少ない」という話が出てきます。
つまり「主体性の欠如」についての話です。
これは、企業と言うよりも「日本の課題」ではないかと思うくらいです。
実際にビジネス以外の場面でもそのようなことはよく聞きます。
例えば、スポーツ。
国内のプロリーグで活躍していた人が海外に行って思ったほど活躍できない場面も見かけますが、ヨーロッパのサッカーチームの監督が話していた「日本人選手観」を雑誌で読んで「やはりな」と思ってしまいました。
「日本人選手はまじめで、規律を守ってプレイができるが、一対一の局面になったり、自分で対応しなくてはいけない局面になると途端にパフォーマンスが落ちる。
自分で判断し、行動することが苦手である」と。
なので、これは国民性かもしれないと改めて思いました。
また、高度経済成長など日本に勢いがあった時代は、「考える」事よりも早く、忠実に動くことが求められてきましたし、「やり方」に疑問を持ったり、考える人間よりも指示に対し、素早く、忠実に行動する人間の方が重宝されてきたという背景もあります。
まあ、一言で言うと状況が変わって180度違う事が求められているのが現在の状況であり、ビジネスマンからしたら、虫の良い事を言うな!!と思っても仕方ない話なのです。
しかし、「答えがない」と言われる現代においては、変革に向けて、待ったなしの状況であることは間違いなく、一人一人が知恵を絞り、スピーディに起こる変化に対し、対応してゆく必要があります。
したがって、「主体性の覚醒」は国を挙げて「子供の教育」から取り組むべき事であると言っても良いと思います。
「覚醒」と言う言葉を使っているのは「本来はあるはず」であり、「ない」わけではないと私自身が思っているからです。
永い間、「自分を殺し」「意見や主張を控え」「長い物に巻かれる」事に慣れてしまったから「埋もれている」のです。
だから急に「主体性を発揮しましょう!!」と号令をかけても、すぐになんとかなるものではないという事です。
また、その反面、主体性の埋没は働く側にとって、あるメリットを生んでいます。
それは、上から答えを出してもらう事により手に入る、頭を使わず責任を負わない事による「楽」です。
そして、この「楽」は麻薬のようなもので、目先の安全は保障してくれましたが、少しづつ自分で動けなくされてしまう劇薬でした。
なので、まずは時間をかけて「毒抜き」をしてゆく必要があり、主体性の覚醒までには、段階を踏んでゆく必要があります。
これは、正直根が深い問題です。
主体性は「自分で考え、決め、責任を持って遂行する」性質を言いますが、これができるようになるまでは、「自信の育成」「自主性の発揮」という段階が必要であると私は思っています。
「自主性」と「主体性」は言葉が似ていますが、意味は違い、「自主性」はやることが決まっている中で率先して行う事であり、自分が感じた違和感に対し、どうするか?何をやるか?から考える「主体性」とは大きな「差」があります。
そして、その自主性を発揮できるようになるにはなんと言っても「自信」が必要なのです。
自信がない人間が、率先して行動を起こす事などできるわけもなく、ましてや自分で考え、決めて、責任を持って遂行する事などできないからです。
ただ、パーソナルコーチングなどで多くの「個人」と接してみて「自信」に問題を抱えている方が多い事に気が付きました。
本当に日本人は「自信」のない方が多い。
なので、まずは「自信」を育んでゆく事が主体性への一歩になりますし、プレイングマネージャー達が部下に対して最初に取り組むべきことは部下の「自信育成」です。
その前に「俺たちの自信を何とかしてよ!!」という声が聞こえてきそうですが、自分のサポートで部下が育てば、上司は自信を持てるようになるので心配はいりません。
では、どうしたら部下が自信を持てるようになるのか?という事ですが、二つの側面があると考えています。
それは、「自分で獲得する」という事と「周囲の協力によって獲得する」と言うものです。
この二つを意識しながら、どうやって部下の自信を育ててゆくのかについては次の機会にお話ししたいと思います。